7−4−1.2006年8月7日「広島湾スタディクルージング」(1)〜(10)

(1)今年も講師の久保浦寛人さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(2)安芸の小富士、似島です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(3)似島学園あたりに検疫所が置かれていた。伝染病が本土に入るのを防ぐために、ここで全身を消毒して、初めて兵士たちは上陸を許された、など判りやすく説明。

 

 

 

 

 

 

 

 

(4)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(5)似島には被爆者が1万人も運ばれて、死んでいき焼却されたなど説明。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(6)弾薬庫もこの向こうの土塁の中に、市内では危険ということで置かれていた、まだ跡が残っている、またなど。その左手で多くの被爆者が運ばれ亡くなった。慰霊碑があり今も骨がでてきている等。

 

 

 

 

 

 

 

 

(7)船は似島を離れ、講師は湯浅一郎さんにバトンタッチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(8)中国火薬が見えてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(9)ここで何度も死亡事故が起きているが、島にとっては数少ない職場。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(10)