7−2、2006年8月6日フィールドワーク「広島城周辺」(1)〜(10)

(1)明治天皇が日清戦争時使用していたという古井戸の名残です。ひろしま美術館の裏。このあたりに宿舎があったのでしょう。先の戦争まではこのあたりは広大な西練兵場でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

(2)井戸の中には何もありません。「軍人勅諭拝受50年」を記念して1932年に碑が添えられていますが、今や交通の障害になるにも関わらず「アンタッチャブル」。

蓋を開けてもなにもありません。

 

 

 

 

 

 

 

(3)いよいよ広島城へ。戦争中はここから中には一般の人は勿論、歩兵第11聯隊等の普通の兵隊も入ることは出来ない、軍の中枢部がおかれていました。

この隅には米兵捕虜の拘置所があったことがわかっています。

 

 

 

 

 

 

 

(4)濠の入り口には中沢啓二さんが子どものころ登って遊んだというユーカリ(コアラが食べる)の木残っています。爆心から740mと表示されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(5)裏側から覗いてみればこのように爆心地側がザックリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(6)この樹も被爆樹です。「皮だけで生きている!」と驚いた人もいるようですが、昨年、中にピートモスという保養剤が詰められました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(7)この上から、爆心地側を望んで筆者がひとくさり講釈したあと、いよいよ中国軍管区通信司令部のあった壕の中へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(8)ここから、当時14歳だった比治山高女の女学生、岡ヨシエさんが「広島全滅」の第一報を送信しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(9)8月6日は、慰霊式があるので、岡さん本人に代わって難波郁江さんが説明します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(10)まだまだプログラムは続くのですが、筆者は次の案内をしなければなりませんので残念ながらここらで退散しました。